【連載 Vol.5】龍郷町に移住しました|田中基次さん(埼玉県出身、福祉サービス㈱リーフエッジ経営)

移住エピソードや町の魅力についてインタビューしました。
田中基次さん(左)、インタビュアー間弓祐次郎(右)

プロフィール

移住者

田中基次さん/赤尾木集落在住

埼玉県出身。大学卒業後、シーカヤックのガイドに従事。その後32歳で作業療法士となる。40歳を機に奄美大島に移住後、大勝集落にて障害者支援施設㈱リーフエッジ「あまみん」を運営。

インタビュアー

間弓 祐次郎/案木場集落在住

茨城県出身。以前は東京にて不動産賃貸仲介業、営業、店舗責任者に従事。地域おこし協力隊。主に空き家バンク、移住者支援業務担当。

40歳になったら…

間弓

どのような経緯で奄美大島に移住したのですか?

田中

私は沖縄でシーカヤックのガイドをし、その後作業療法士となり病院に勤めていました。40歳になったら好きな事をしようと移住を考え、海のレジャーが楽しめる南西諸島限定で探しました。勤め先になる病院の候補がいくつかあり、生活環境が整っている奄美大島が候補に挙がりました。その後実際に訪れた際に、美しい海に魅せられ移住を決意しました。

間弓

住まいはどのように探しましたか?

田中

人暮らし用の物件が少なく苦労しましたが、実際に奄美を訪れ区長さんに空き家が無いかと尋ねる事で見つける事が出来ました。

集落の方々との繋がりで

間弓

お住まいは赤尾木との事ですが、選んだ理由は?

田中

名瀬に就職先が決まっていたので、通勤可能な距離で趣味のサーフィンができる場所を条件に選びました。

間弓

シマの生活はいかがでしょうか?

田中

移住してすぐの頃、舟こぎ大会のメンバーとして声を掛けてもらい集落の方々と仲良くなりました。今の事業所は土地、建物、内装など全て集落の方々との繋がりで出来上がりました。移住者の私に壁を作らず受け入れて頂けた事で、沖縄では体験できなかった奄美の良さを感じながら生活しています。

まだ地域にないサポートを

間弓

起業されたきっかけは?

田中

作業療法士である私が出来る事で、まだこの地域にはないサポートの形があるのではないかと考える様になり、意を決し移住して1年後に起業しました。起業して4年が経ちますが、初めは利用者1名にスタッフが3名の状態から始め、現在は27名が利用してくれています。

間弓

現在取り組まれているお仕事について教えてください。

田中

農業と福祉の連携に取り組んでいます。一般企業に雇用されることが困難な障害者に対し、適切なサポートを行いながら働く場を提供する福祉サービスです。近隣農家の手伝いをし、労働対価として金銭ではなく作物を頂いています。頂いた作物を中心に奄美群島の特産物を使ったジェラートやハーブティーを加工・販売し、利用者さんの工賃向上に繋げていく活動をしています。今では従業員や利用者さんが増えてきたので、販売を安定させてより多くの方が自らの力で働ける環境を作っていきたいと思っています。

満足度の高い生活

間弓

最後に、奄美の魅力は何だと思いますか?

田中

奄美大島にはゆったりとした穏やかな時間が流れている様に感じます。豊かな自然、美しい海があるので遊びにお金が掛からないです(笑)。野菜もよく育ち海と大地の恵みを頂ける満足度の高い生活を得られると思います。

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