小久保 公太さん
妻・好美さん

移住年:2017年

「地ならし」は先に僕がしておくよ。
妻にそう言い残して
先に移住してきちゃいました。

龍郷町 大勝集落

移住体験ツアーで動いた心

『男はつらいよ 寅次郎紅の花(第48作)』は加計呂麻島でロケが行われた。小久保好美さん(34歳)の叔父は撮影クルーで、好美さんが幼い時に叔父から島の話を聞いたのが奄美大島との最初の関わりだ。その後、好美さんは大人になって来島して以来、熱烈に奄美大島が好きになってヘビーリピーターとなった。公太さん(34歳)と結婚した後は、二人で奄美で夏休みを過ごすようになった。好美さんは奄美大島の癒しの雰囲気に惚れこみ、公太さんは幼い時にたしなんだ海釣りへの思いが復活。好美さんが「移住したいよ〜」と言い出すようになり、移住体験ツアーを見つけて二人で参加。これが移住を実際に考えるタイミングになった。それまでは単なる観光で島に知り合いもいなかったが、先輩移住者たちの話を聞き、集落での生活を垣間見、ツアー参加者と島での将来を語り合うことで、自分たち夫婦の将来像も漠然としたものから少し具体的になっていった。公太さんの仕事は外国人が多く宿泊するホテルのコンシェルジェ、好美さんの仕事は臨床検査技師で、どちらも島に求人が多くある職種だ。当面、二人ともサラリーマンをしながら、いずれゲストハウスを運営したいと考えるようになった。

①奄美大島移住体験ツアーに参加した時の様子。体験ツアーでは空き家のリフォーム事情や集落のお祭りにも参加し、より深く奄美を知る機会となった。

住まい探しの壁

その後、住まいと将来のゲストハウス候補となる物件探しを兼ねて度々来島するが、そこで壁にぶち当たる。いくら不動産会社を回っても、物件が見つからないのだ。名瀬には物件があるが、二人の希望は田舎の物件。そんな折にツアーで知り合った先輩移住者を訪ね、地元の人たちを紹介してもらう機会があった。そこから一気に真剣にいろいろなことを相談できる地元民が増え、人づてで物件も紹介してもらうようになった。でも、商売を考えるにも台風の影響や地元の細かい状況がよく分からないことでピンポイントの場所が絞り込めなかったり、持ち主と話しているうちに当初の契約内容と食い違ったりした。
「うーん、このまま通って住まいを探すのは無理かも。」と思っていた矢先、友達となった先輩移住者が「僕の家に居候しながら探したら?」と言ってくれた。また、誰も住まなくなった家を「自分で改修するなら貸すよ」と言う話も出てきた。

②奄美大島の少し南に位置する加計呂麻島にある「男はつらいよ」ロケ地。雄大な自然が広がるこの地に二人は一目惚れした。

まず歩き出そう、
そう決めて正解でした。

そこから夫婦で話し合った結果、公太さんが単身先に奄美大島に移住し、友達の家に居候しながら貸してもらえる家を改修し仕事を見つけ、落ち着いたら好美さんが後から移り住むことになった。公太さんが住まいと仕事探しをする間、公太さんは失業保険を使い、好美さんは東京で働き続けることで生活費を確保することにした。公太さんは東京のホテルの仕事を辞め、それまで夫婦で住んでいたマンションを引き払い、好美さんは実家へ、公太さんは自家用車に生活必需品を詰めるだけ積んで「いざ、出発!」というときに、好美さんの妊娠がわかった。

「出産は実家にするか、島にするか?」を話し合った結果、好美さんの母親に出産時に来島してもらうのは難しいので、実家で出産してから好美さんはお子さんと引っ越すこととなった。

公太さんの居候生活は順調そうだ。島通いをしていた時とは比べ物にならないほど地元民の友達が増え、家の改修から集落での生活、仕事探しのアドバイス、釣りの師匠など、多岐に渡って支えてもらっていると言う。「不安いっぱいで島まで車を運転してきたが、やっぱり踏み切ってよかった。インターネットで調べても、どんなに通っても分からなかった島事情が手に取るように入って来る。東京で暮らす感覚とは全く別物なのが体感できた」。「今は、不安より“何とかなるさ”」と笑顔で語っていた。

移住に踏み切れない人へ
ワンポイントアドバイス

インターネットでどんなに島について調べても、不動産会社をどんなに回っても、答えは出ないよ。都会の感覚でいろんなことを選択しても、うまくいかないと思う。住んでいる人たちと交流することが最短だよ。

集落のお祭り情報

種おろし

「種おろし」は、翌年の豊作を祈願するとともに、一年間の締めくくりとして各家庭を踊り浄め、繁栄を祈る行事です。迎えた家では、料理や飲み物が提供され老若男女、夜遅くまで踊り続けます。
時期:例年10月下旬〜11月上旬(天候や集落の事情等により変更される場合もあります)